コラム
第96回精神文化講演会に思う
第4波と目される新型コロナウイルスの感染が急拡大する中で、第96回精神文化講演会が開催されました。
仲野徹、二間瀬敏史 両講師の先生方の講演から、生命科学と物理学の最先端の研究が物質と非物質の境界に立って生命と宇宙の神秘を解き明かそうとしていることを目の当たりにしたのであります。
そこで講演を振り返って考えて見ましょう。
生命科学の発達によって人間の肉体を構成する60兆個の細胞(0.2mm)の一つ一つに遺伝子といわれる60億のタンパク質の塩基配列いわゆるDNA(デオキシリボ核酸)の二重螺旋構造が畳み込まれていることが分かり、コンピュータの驚異的発展によりその遺伝子解析が進んで、その塩基配列の欠落や欠陥がどの病気(癌など)の原因になるかが明らかになってまいりました。
また、人間の脳の140億個の神経細胞(シナプス)の研究も急速に進み、人間のそれぞれの器官が脳のどの部分が支配しているかが判明し、これもまたその部位の活動の有無によって、身体機能に不具合が生じることが分かってまいりました。
そうした事実だけでも私達の肉体の驚くべき精緻な仕組みが備わっていることが分かります。では一体、そうした人体の設計図は偶然に創られたものなのでしょうか。
道元ならずとも「人身受け難く・・・」の言葉に敬虔な気持ちにさせられます。
しかしながらDNAや脳細胞をいくら分析しても、私達が持っている喜怒哀楽の心や、真善美を求める心、記憶や意識が具体的に取り出されたわけではありません。病や、身体の不具合の研究の過程でそれぞれのDNAや神経細胞の欠陥部位がそれらに対応していることが明らかになったのであり、その部分を取り除いてみたら病や、身体の不具合が起こることが分かっただけなのであります。従ってその部分を修復することにより、病や身体の不具合を解消することができるようになってきたのです。あくまでそれらは生命の現象であって、本質的に各々の記憶や意識、高級な精神活動の具体的なものが取り出された訳ではないのです。
それでは私達の具体的な心の働きは何処にあるのでしょうか。あくまでその働きはDNAや脳神経細胞(物質)の属性なのでしょうか。それとも心の働きは何処か別の所に実在しているのでしょうか。疑問が湧いてまいります。しかし、それは目には見えませんが、確かに存在することは万人が認めるところでしょう。
もし人体の細胞一つ一つに生命が宿っているとして、一人の人間として統合的、調和的に肉体を動かし、意思(心)を発現させ、人格を形成しているものは、全体を具体的に統御しているものは、その力は何なのでしょうか。個々の細胞の働きと、全体としての調和的働きとには隔たりがあるように見えます。
各細胞は分子の集合体であり、その分子は原子の集合体であり、原子は陽子と電子から構成されていることは物理学が教えるところであり、陽子とその周りをまわっている電子の間には空間が広がっているというのです。そしてある研究によりますと、平均の人間の原子数は10の28乗個(100兆個の100兆倍)あり、その98%が一年で置き換わるとされています。そうしますと一年ごとに新しい自分が出現することになり、記憶や意識の継続性はどのようにして保存されるのでしょうか。さらに私達はそのことを全く意識していません。
人体を構成する細胞、それを構成する分子、またそれを構成する原子間にも隔たりがあることになるのですが、しかし私達はその隔たりを意識せずに一個の肉体を持って、統合的、調和的な活動しています。それは不連続の連続であり、各々の世界が層をなして重なり合って、それが次元を異にするということなのでしょうか。つまり次元を異にする世界が私達自身の中に統合的、調和的に存在し、それが肉体であり精神(こころ)を構成していると考えられないでしょうか。そのことを私達を取り巻く宇宙空間に拡大して見ますと、この宇宙もまた、次元を異にする世界の集合体であるのではないでしょうか。目には見えないからといって存在しないのではなく、実在の世界なのではないでしょうか。
たとえDNAや脳細胞をいくら分析しても、喜怒哀楽の心や真善美を求める心が具体的に取り出せないとするならば、そうした心の働きは何処か別の所に実在して、DNAや脳細胞を媒介として発現してくる無形の力があると考えられないでしょうか。それはいわゆるいのち(・・・)(いは生命、ちは力)、生命の力、生命力ではないでしょうか。
物質(肉体)をどんなに分析し追求しても、私達が夜空の星々を見る如く、最終的には茫漠たる空間が広がる原子の世界に行き着きついてしまいます。そこにはもはや肉体も心もありません。そして生命力の実体は全く明らかにならないのです。
ではその生命力の実体は何処にあるのでしょうか。私達はその生命力によって生きているということは厳然たる事実です。全くの謎であり神秘の世界です。
私達は漠然と、昨日も生きた、今日も生きた、明日も生きるだろうと思っていますが、その保証など何処にもありません。人間は死んでしまえばそれで終わりなのでしょうか。仲野徹先生が最後に示された「人は死すべき定め」の言葉が意味深く私達に迫ってきます。
謎といえば、二間瀬敏史先生の宇宙とブラックホールに関する講演も全くの謎であります。
時間は過去から未来へ一定の速度で進み、空間は全く歪みのない縦・横・高さの三次元空間を基にしているニュートンの古典物理学は、私達の日常感覚にピタリ合うもので、大抵の物理現象はニュートン力学で解決できるのです。しかし、1905年のアインシュタインの登場で、その様相は一変します。1914~15年にかけて発表された世にいうところの一般相対性理論であります。従来の時間空間の概念を覆すことになりました。三角形の内角の和は180度と習いましたが、空間の歪みによって大きくなったり小さくなったりする世界なのです。それが三次元空間に時間を加えた四次元時空連続体です。それは私達の宇宙観、世界観に大きな影響を与えました。そして今日も影響を与え続けています。そして、その理論が正しいことが星々、銀河の中心にあるとされるブラックホールの観測で明らかになったのです。私達の目には見えなくとも、時間が早くなったり遅くなったり、空間が伸びたり縮んだりする世界が私達を取り巻く宇宙に存在していることが分かってきたのです。二間瀬先生が指摘されましたように、私達が持っている直感的三次元空間の概念が幻かもしれない、またブラックホールの研究が時間とは何か、空間とは何か、存在とは何かの本質的な哲学的命題にも応えようとしているのです。
私達の五官で捉える宇宙は、実は目には見えなくとも、あるいは観測に懸からなくとも、別次元の空間が存在しているかもしれないということなのです。将に物質世界をどんどん追求していった結果、非物質の世界の入り口に立つことになってしまったのです。
私達は、いや社会も直接的に実用になるもの、生活に役に立つものを求めがちです。
二間瀬先生は、講演冒頭に「私の話は仲野先生の話とは違い何の役にも立たない」と言っておられましたが、
全くそういうことではなく、仲野先生の話と共に、私達の人間観(生命観)、世界観、宇宙観を形成するために大いに役立つ知見なのです。それは私達の生き方に大きな影響を与えることを知らなければならないのです。
両先生の講演から、私達は想像を絶する神秘な宇宙空間の中で、この身に神秘な生命を宿し、愛する心をもち、夢と希望を持ち、真善美を求めて生きていることの事実に改めて直面し、その有難さを実感したところであります。今般の講演を頂いた両先生に感謝を申し上げる次第です。
最後に本会の創立五十周年記念事業の一環として風詠社から出版された鴨志田恒世先生の著作、「幽玄の世界」追補版、「叡智への道標」「自らの道を選べ」の三冊は、今はささやかな出版でありますが、魂のふるさとを見失い、深い絶望の中で、自信と誇りを失って苦悩する現代の私達に、その魂の在り処を指し示し、進むべき道を教えているのです。それは、日本は言うに及ばず世界の人々への救いの道であり、生命の根源者への大いなる誘いの書なのです。改めてお陰様を以てこの出版が実現したことに感謝の誠を捧げます。
わたつみ友の会広報部