コラム
東日本大震災に思う ―日本の再生を願って―
去る3月11日に発生した東日本大震災は自然の猛威と恐怖をまざまざと見せつけ、私達日本人に大きな衝撃と悲しみを齎し、世界を震撼させました。25000余の逃げる間もなく犠牲となられた方々の御魂の安らかならんことを衷心より祈念し、被災され不自由な避難生活を送っておられる多くの方々へ心からお見舞いを申し上げます。
日本人が古来から伝統的に培って来た大切な魂の故郷を失い、命の綱が切れて、病んだ心が蔓延り、全てが自己中心的であり、責任を他に転嫁し、恨みや憎しみ、闘争心、劣等感、嫉妬心などの破壊的なエネルギーが心の中に台風を起こし、今日の暗い世相を形作り、自殺問題の放置、政治的社会的無策が続いておりました。無縁社会や格差社会、政治家の低次元の醜い足の引っ張り合いなど、国民の多くが辟易しておりました。そして以前の伝統的な凛とした日本に立ち返らなければと多くの方が想っておられたと思います。
この歪んだ心が複雑に人間社会で展開することをこのまま放置すれば、これがやがて計り知れない艱難辛苦と試練になって跳ね返って来ることが予測されましたが、この大震災が突然起きました。この天変地異に遭遇した私達は、これを運命論だけとしては片付けてはならないものと考える次第です。
日本には古来、「油断大敵、カギ無敵」「転ばぬ先の杖」「備えあれば憂い無し」などの先人の教訓があります。三陸海岸の大津波は多くの歴史上の事実が存在したこと、また、それに関する提言が経済性の観点から無視され、活かされなかったことは誠に残念に思います。この大震災は自然の猛威と恐怖をまざまざと見せつけ、私達日本人に大きな衝撃と悲しみを齎し、同時に発生した福島原子力発電所の冷却機能喪失による放射能漏れの災害は、自然への畏敬の念の喪失、安全神話の驕りが齎した人災とも言えます。
今から17年前の1月17日、6000人以上の犠牲者を出した阪神淡路大震災について、建設省建築研究所地震学室長の石橋克彦氏は次のように残している。「この震災をこれほど悲惨にしたのは、けっして、多くの人が口にした『想像を絶する強い地震の揺れ』ではない。根本原因は日本全体に技術過信と経済至上主義が蔓延し、政治・行政が自然と人間を軽視した国土開発や都市経営を推し進めたことである」と、人間は経験からも学ぶことが出来ないのかを考えるとき、忸怩たる想いがしてなりません。
この度の未曾有の災害が終わりではなく、終わりの始まりであることを肝に銘じ、電気、ガス、水道、通信、交通が機能しない不自由さを強制体験させられたことを天の恵みと捉え、唯物主義からの脱却、人工的な便利さの陰にある大いなる不便さを常に看破し、不自由を旨とし、考える日常生活を送ることが大切だと思います。電力不足もこれこそ省エネ化の好機到来と見て、生活の在り方、際限のない便利さの追求を改め、私達日本人が気概と勇気を以って、本来の伝統的な自然との共生を活かした智慧のある生活、真に便利な生活環境を取り戻すべく真正面から立ち向かうことを祈念するものです。
この大災害を契機に、改めて「背後に燦然として輝く人間の真実があることを肝に銘じ、自分の身の程を知り、人の過ちや欠点を許す心、人の傷を労れる心、純粋な許しの心を持てる人間、善なるものへの立ち返りが大切であり、天から宝を頂ける純粋無垢な人、天意に沿った生き方、良いものも悪いものも捨てて、謙虚になる生活原理を身に付けなければならない」と考える次第です。
小生も東北人ですが、忍耐強く自然と共生して来た地域が大きな災害の犠牲になりました。今回の復興は何でも中央都市集中のグローバリゼーション思想のメジャーで判断するのではなく、地域に根差したローカライゼーションの発想を大いに盛り込んで、絆社会を取り戻し、高台に居住し、海や野山、田畑に働きに出る新環境創りは十分可能だと思います。
更に、無縁社会との決別、自由の意味を履き違えた考えの一掃、国を守る自衛隊の存在意義の再確認と補強、無能政治家の一掃など、山ほどの命題に立ち向かうチャンスが到来したと思います。
そして、この度の大震災は、箍(たが)の緩んだ我々日本人に、日本人本来の「神と自然と人間の調和」を基にした生き方を取り戻すための天が与えた叱咤激励と考える次第です。
NPO法人わたつみ友の会
理事長 伊東 將