コラム
「社会全体が病んでいる」-川崎の事件に思うー
去る5月1日を以て新元号「令和」となって間もなくひと月余りが経とうとする28日(火)の午前7時40分頃、川崎市多摩区の登戸駅付近でスクールバスを待つ児童を突然襲った凶行によって児童他20名の死傷者を出し、容疑者の51歳の男は、自らの命を絶った事件。社会に大きな衝撃と悲しみをもたらした。
如何なる犯罪であれ、人命を奪う行為は、中でも最も重い犯罪であり、また幼い児童を多数傷つけた行為も到底許されるものではない。そして、その凶行に対して激しい怒り持つことも無理のないところである。
こうした凶行を防ぐにはどうしたらよいのか、そこから見えて来たのは社会全体の病理現象である。政府は警備強化や、引きこもり対策などを打ち出してはいるが、根本的解決に向かうのかはなはだ疑問である。また、マスコミなどで、専門家と称する人達が、容疑者の男の生い立ちなどを踏まえて心理分析して方策を提言しているが、どれもこれも現象の表面をなぞるだけの、魂の入っていない見解に終始している。
報道によれば、この男は、幼い時両親が離婚、十代の半ばから伯父伯母夫婦に面倒を看てもらいながら生活して来たという。そして、引きこもりの傾向で、伯父伯母、親族が数次に亘って行政への相談をしていたそうである。
これはあくまで推測であるが、両親が離婚したとはいえ、なぜ伯父伯母が多感な時期の面倒を見なければならなかったのか、一向に両親の顔が見えてこない。この男は最も頼るべき存在である両親から捨てられたのであろう。幼子にとっての両親の存在は、外界から自分を守ってくれる最も頼りになる存在であり、安心感を得るオアシスに違いないし、本人も両親の温かい愛情を望んでいたはず。しかし、その望みが絶たれことでの不安感と絶望感は察して余りある。そして、社会へ一人ぼっちで放り出された事の孤独感もまた強いものがあり、深く心に傷を負ったものと推察される。そして彼の人生行路にとって最も不足していたものは、物やお金ではなく温かな愛情なのであったと思われる。
人々は、生きる事に対して、未来に対して漠然とした不安や、恐怖を胸底深く抱いているものである。まして今日のようにマスメディアが発達して来ると、知らなくてもよい情報や、無用な不安や恐怖をあおるような情報が氾濫して、不必要な刺激が心身に影響して、以前にもまして不安や恐怖を助長する結果となっている。そして、その不安や恐怖を払拭するために、ある者は知識を、ある者は財力に、ある者は社会的地位や名誉に執着し、偽りの自信を以て、他人と比較し一歩でも先んじようと、自らを立て直そうと生きているのが現代社会の在り様である。
人生に何の感動や感激も無ければ、人生は無味乾燥なものに成り果ててしまい、天地衆生に感謝する心も起こってこない。医学博士・鴨志田恒世先生は生涯に亘って、「何時でも何処でも誰にでも真心を尽くせる人となれ」と、人生に最も大切なものは愛であり、愛情である事を訴えられた。そして偽りの愛、即ち自己愛を放擲して、真実の愛即ち他人愛を涵養する事によって、人生における本当の自信を我がものにする事が出来るとされた。それは物やお金はどうでもよいということでは決してないのであって、社会生活において物やお金は大切なものであるが、それらを持つことによっての偽りの自信を持つことを戒められたのである。自らが独りになった時に、それらを全て放擲した時に湧き上がって来る自信こそが本物であると言われたのである。
そこで元の話に戻るが、彼の人生は絶望であり、「死んでしまいたい」という心であったと思う。安心感のある愛に包まれたいという願望は無残にも打ち砕かれ、頼るべき両親に捨てられたと思う心は、両親に対する恨みの心となって、人生行路において、自らが望むように他人が接してくれなかったりするたびに、傷ついた心、「死んでしまいたい」という心が蘇り、それが社会全体への恨みを募らせる事となり、その煩悶に押しつぶされそうになる事を何度も経験して、天に唾する事になっていったのであると思う。そして、自分の現在の境遇が、他人や社会のせいであるとして、一種の責任転嫁をして自分自身の心の安定を保とうとしたに違いないのであろう。自分はこんなに苦しんでいる事を分ってほしい、救ってほしいという依存性と、一方で自分の想い通りにならない他人や社会の全てを破壊しようとする強い攻撃性を以て、その揺れ動く心の間を行ったり来たりする人生行路であったと思われる。
先生は「母親に対する反抗心は、延いては天地に対する反抗心に繋がって行く」と言っておられる。また「両親の充分な愛情を受けて育った者が犯罪者になるのかは、はなはだ疑問である」とも言っておられるのである。
その大きな原因の一つが、幼少期に受けた深刻な心の傷にあるのであって、その行為がどんなに反社会的に見えても、それは枯渇した愛を取り戻そうとする悲しいまでの切なる願いが込められているものと思われる。
先にも述べたように、こうした事件があってからのマスコミ報道は、専門家と称する人達が、彼の生い立ちや、性格や、希望や、人生の歩みを分析して、なぜあのような凶行に及んだかを実しやかに解説しているが、彼の心の叫びを正面から受け止め、その根本原因を究明し、救いの手立てを明確に述べている人は一人もいないと言ってよい。彼は、ついに子供時代に抱いた「死んでしまいたい」という願望と、社会に対しての復讐を同時に果たしていったのである。それはまた、そうした心を抱いた事への無意識における罪の意識を以て、自身の罪深さ故に裁かれなければならないという自己破壊的な心を同時に増幅していったのであり、自らを死に追いやる行為によって、その罪を償っていったのである。そして報道されているように、自らを不幸にし、他人をも不幸にする全く救いがない暗く悲しい現実が展開されたのである。
人間の深層意識は合目的に作用する恐るべき存在なのである。一方で愛は常に憎しみの後ろをついて行ってそれを中和する偉力を持っていることは、既に先生の著書「幸福への探求」が指摘していることも忘れてはならないのである。
現代社会は物質的には極めて豊かになり、人々はその恩恵を謳歌して、幸せそうに見えて、その姿が華やかであればあるほど、心の中に救い難い虚無感を持っている事を自覚しなければならない。
そして、こうした悲劇の一義的原因は結婚にあるのである。結婚が無ければ子供も生まれないし、こうした不幸も起こらなかったはず。恋愛と称して好きならば一緒になろうとすることが悲劇の始まりなのであり、これから結婚する青年達も、既に結婚して子育てしている人達も、既に子供達を育て上げた人達も、結婚の重大さと、親となる人達の責任は極めて重い事を考え直さなければならない。
先生が数十年前にその著書「〝愛〟の創造」で指摘されておられるように、社会や国家を健全なものにする為にはその最小単位である家庭を健全なものにしなければならないし、その基盤である結婚が健康で祝福されたものでなければならないである。真実の愛を身に付けた者同士がより良い結婚に至り、心身共に健康で、社会や国家に貢献できる子供達を育てることが出来るのである。そして結婚生活の過程で常に真実の愛を身に付ける努力を怠ってはならないのである。
この一つの悲しい事件を契機として、人間如何に生きるべきか、真実の愛とは何かを本気で考えなければならないと思う。政府はあいかわらず経済至上主義を掲げ、それを豊かさのバロメーターのように喧伝しているが、それだけが真に国民を幸せに導くものではない。最も大切な事は、社会の最も基本の単位である結婚や家庭、家族関係、社会の在り方を根本的に見直し健全な方向へ導くことである。そうしなければこうした悲劇は続くのである。社会全体があまりに病んでいるためにその事に気づかないのである。
凶行に及んだ容疑者が極悪人で、一般の人々は善良であるというのは、全く平面的考えであって、一つ二つの条件が違えば誰でもそうなる危険性をはらんでおり、深層心理学が教えるところ、人々はそれぞれ想念を以て無意識の中で影響し合っているのであって、そうした原因を作り出しているのが社会全体の病理であり、ある意味においてこうした悲劇は国民全体の連帯責任でもある。つまり悪想念が凝集してこうした悲劇をもたらし、その付を一部の人々の犠牲の上に清算されている事を忘れてはならないのである。そして、国民一人ひとりが心の痛みを感じながら健全な社会建設の為に、それぞれが温かい心と、愛を以て行動しなければならない今日なのである。
人として両親を通して、天から与えられた命を宿して、この地上に生れ落ちてこの方、不幸になりたいと思っている人は一人もいないと思う。
両親の愛に支えられて、生きる事に希望を持ち、将来に夢を抱き、幸せになりたいと願ったはずである。しかし、その願いが打ち砕かれた時、人は悪に走り、自らを破壊しようとするのである。
先生は「全ての人は心の奥で真・善・美を求めている。しかし、その求める心が挫折した時、人は悪に走るのである」と言っておられる。
こうした一連の考察もマスコミよりはまだましなぐらいの全くの表層での見解に過ぎない。なぜなら人間の本質は肉体を通して行動する精神的見えざる実体であり、その内奥は永遠を生きる霊的存在であって、その奥深さは秘密のベールに包まれているからである。その奥に進入して俯瞰し、その根本原因を探りだし建設的な方向に仕向けることが出来る能力を持たなければこうした事件の再発を防ぐことは不可能に近い。しかし、諦めてはいけないのであって、先にも述べたように国民一人ひとりの想念を純化する事により、その想念が凝集してそうした凶行を思い止まらせる力になる事を知らなければならないのである。
令和になって、明るく豊かな時代の到来を国民挙げて願ったのはつい最近である。しかし、社会全体の病理は一向に改善される気配がない事を大変憂慮するものであるが、「愛は神に淵源し、愛は神格より出る」とのお言葉のように、神様から与えられた愛をこの地上に活かすことが地上楽園を建設する為の最大の力となるのではなかろうか。
先生の著書「〝愛〟の創造」の冒頭に、「智慧の貧しきを嘆くことなかれ愛の乏しきを憂えよ!」とのお言葉が、改めて胸底深く響き渡っている今日この頃である。
令和元年6月2日
NPO法人わたつみ友の会
事務局長 河邊信行